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オイスターバーに行けば、牡蠣は生、ワインは白、これがお決まり定番である。つまり、生牡蠣を愛し、食する者は、牡蠣同様にワインについて関心を持っている。
そこで、今回の「世界牡蠣面白物語」では、ワイン世界について検討してみたい。
最初はワイン業界の「一大事件」である「パリスの審判」がフランスへ与えた影響である。

大事件勃発の始まり

ワイン世界で、1976年5月24日、大事件が勃発した。
それは、仏米著名ワインについて、ブラインド・テスト比較試飲会を行った結果、世界のワイン界を振動させ、当時のワインの常識をくつがえし、現在も語り継がれ、歴史をかえた事件である。

内容は、その場に居合わせた、当時タイム誌の記者だったジョージ・M・テイバーが「『パリスの審判』カリフォルニア・ワインvsフランス・ワイン」に詳しく書き述べている。「私は1970年代の中頃、タイム誌の特派員としてパリ支局に駐在していた。これは実に面白い仕事だった。小さい所帯の支局だったので、フランスの政局から最新ファッションまで、あらゆる記事を書かされた。パリ支局が担当する国で事件が起きると、どこでも駆けつけた」で始まる。

1976年5月24日は、たまたまパリにいた。1週間前、ニューヨークの編集者に、パリでバカバカしい試飲会がある旨は伝えてある。超一流どころのフランス・ワインが、名もないぽっと出のカリフォルニア物と対決する趣向らしい。フランス勢が勝つのは目に見えているので、話題にならないだろうが、カリフォルニアで生まれ育った私は、昔からワインに大きな興味があり、スイス、ドイツ、ベルギー、フランスで、学校に通ったり働きながら、ヨーロッパのワインをいろいろ勉強した。

試飲会場は、インターコンチネンタル・ホテルだ。シャンゼリゼ通り近くにオフィスを構えるタイム誌パリ支局から、それほど遠くない。アメリカ大使館の前を通り、コンコルド広場にあるエジプト風オリベスク、通称「クレオパトラの針」を過ぎ、リボリ通りに入る。リボリ通りは、ほどなく、華やかに飾りつけた店が並ぶアーケード街に装いを変える。インターコンチネンタル・ホテルは、カスティリオン通りにあり、このリボリ通りと、重厚な雰囲気に溢れるヴァンドーム広場に接している。パリで最高にスタイリッシュなホテルであり、品のよさと豪華さで、光り輝いていた。

ホテルのドアマンが、パティオのバーの隣にある瀟洒で小さな部屋に案内してくれた。ここが試飲会場だ。

試飲会を企画したイギリス人のスティーヴン・スパリュアと、アメリカ人のパトリシア・ギャラガーとは面識があった。
スパリュアは、ホテルに近いワインショップ、『カーヴ・ド・ラ・マドレーヌ』のオーナーだ。ギャラガーは『カーヴ・ド・ラ・マドレーヌ』の中で開校しているワイン・スクール『アカデミー・デュ・ヴァン』の講師で、入門コースを受けたことがある。

この試飲会の取材に来たジャーナリストは私だけだった。私は、ギャラガーに挨拶すると、茶色いプラスチックの表紙のメモ帳を手に、取材を開始した。間もなく、9人の審査員が現れた。個人的に面識ないが、9人とも高度な試飲能力を備えた、フランス・ワイン界を代表するトップ・プロだ。9人はフランス上流階級の作法に従って静かに挨拶を交し握手をすると、横に長くセッティングしたテーブルに着席した。

この試飲は、ラベルを隠す、いわゆる「ブラインド・テイスティング」なので、審査員はどのワインを飲んでいるか分からない。知らされているのはフランス・ワインとカリフォルニアが混じっていて、赤ワインは、カルベネ・ソーヴィニヨン主体のボルドー系ワイン、白は、シャルドネで作ったブルゴーニュ・タイプであることだけだ。

試飲会の結果=パリスの審判
(白ワインのテイスティング)

ほどなく、3時を過ぎ、ラベルのないボトルを持ったウエイターが現れ、テーブルに沿って審査員のグラスにワインを注いで回った。審査員の前にあるのは、採点表、グラスが2脚、次のワインを飲む前に舌の味覚を元に戻すための小さくて固いロール・パンだけだ。普通の試飲会と同じように、白ワインのテイスティングから始まった。

白ワインの試飲が半分終わった頃、手元のワイン・リストと見比べて、私は大きな衝撃を受けた。フランス・ワインをカリフォルニア物と勘違いし、カリフォルニアをフランスと思い込んでいる審査員がいるのだ。テーブルの一方の端の審査員は、フランスと判断し、反対側では、同じワインをカリフォルニアと信じている。

試飲会が面白くなる予感がした。

スパリュアは、当初、試飲会の最後に全部の結果を発表する予定だったが、ウエイターがテーブルを片づけて赤ワインの用意をするのに時間を食い、スケジュールが大きく遅れた。そこで、白ワインの試飲結果をその場でアナウンスすることにした。スパリュアは集計結果を見て腰を抜かすほど驚いたが、そのままゆっくりとテイスティング結果を読み上げた。

 1位  シャトー・モンテレーナ 1973年(米)
 2位  ムルソー・シャルム・ルロー 1973年(仏)
 3位  シャローン 1974年(米)
 4位  スプリング・マウンテン 1973年(米)
 5位  ボーヌ・クロ・デ・ムーシュ、ジョセフ・ドルーアン 1973年(仏)
 6位  フリーマーク・アベイ 1972年(米)
 7位  バタール・モンラッシェ、ラモネ・プルードン 1973年(仏)
 8位  ピュリニー・モンラッシェ、ルフレーヴ 1972年(仏)
 9位  ヴィーダー・クレスト 1972年(米)
10位  デイヴィッド・ブルース 1973年(米)

試飲結果を読み終わったスパリュアは、審査員を見渡した。審査員の反応は、ショックを受けたり、恐怖に顔が引きつったりと様々だった。予想外の結果に部屋の中が騒然となる。結果を示す審査員の採点表を見て私は仰天した。カリフォルニアのシャルドネがフランスを圧倒したのだ。

審査員全員がカリフォルニアのシャルドネを1位にした。6人の審査員がモンテレーナを1位に挙げ、残りの3人はシャローンをトップと評価したのだ。上位4位のうち、3つまでがカリフォルニアだ。クロード・デュボア・ミヨ(「ゴー・ミヨ」誌の販売部長)は、モンテレーナに20点満点で18.5点、オーベール・ド・ヴィレーヌ(ロマネ・コンティ社の共同所有者にして共同経営者)は18点も与えた。

モンテレーナは総計132点を獲得し、2位ムルソー・シャルムの126.5点を大きく引き離した。

(赤ワインのテイスティング)

ウエイターが赤ワインを注いで回っている様子を見ながら、赤ワインの試飲では審査員が慎重になり、意地でもカリフォルニアを1位にはしないだろうとスパリュアは考えた。白ワインでカリフォルニアを勝たせただけでも、ひどい裏切り行為だ。赤ワインでもカリフォルニアを1位にすることは国家に対する反逆である。審査員は、細心の注意でフランス・ワインを割り出して高得点をつけ、カリフォルニア物を低く評価するとスパリュアは思った。

白ワインの試飲で時間を食ったため、スケジュールが押した。6時までに部屋を空けなければならない。スパリュアは、採点表を急いで回収して集計した。赤ワインの場合も、白ワインと同様、9人の審査員の得点を合計した。審査結果の発表では、会場が水を打ったように静まり返った。スパリュアの声はマイクを使わなくても隅々まで響いた。

  1位 スタッグス・リープ・ワイン・セラーズ 1973年(米)
  2位 シャトー・ムートン・ロートシルト 1970年(仏)
  3位 シャトー・モンローズ 1970年(仏)
  4位 シャトー・オー・ブリオン 1971年(仏)
  5位 リッジ・モンテ・ベロ 1971年(米)
  6位 シャトー・レオヴィル・ラス・カーズ 1971年(仏)
  7位 ハイツ・マーサズ・ヴィンヤード 1970年(米)
  8位 クロ・デュ・ヴァル 1972年(米)
  9位 マヤカマス 1971年(米)
 10位 フリーマーク・アベイ 1969年(米)

騒ぎは、白ワインの時より大きくなった。赤ワインでもカリフォルニアが勝ったのだ。誰がこんな結果を予想出来たろう?
審査員は、信じられないものを見たかのように座り込んだ。筆者は自分が聞いたことを確認するために、ギャラガーのもとへ歩み寄り、聞いた。

『赤ワインでも、カリフォルニアが勝ったんですね?』
『そうです』とギャラガーが答えた。

カベルネ・ソーヴィニヨンの試飲では、フランスとカリフォルニアの差はシャルドネに比べて僅差だった。最高点を1番多く獲得したのは、シャトー・オー・ブリオンで、3人の審査員が1位にした。また、9人の審査員のうち、7人がフランス・ワインをトップに評価した。 

スタッグス・リープも審査員が高得点をつけたが、単独首位にしたのはオデット・カーン(『LA Revue de Vin de France』誌、および、姉妹誌(『Cuisine et Vins de France』の編集者)だけ、また、レイモン・オリヴィエ(名門レストラン、ル・グラン・ヴェフールのオーナー・シェフ)は同点で1位にした。

白ワインとは対照的に、赤ワインでは全体的にフランスの得点の方がカリフォルニアより高かった。上位4位の中にフランスが3本入り、一方、カリフォルニアは下位4位を占めた。得点をトータルで見ると、かなりの接戦と言える。上位5つのワインの得点差は5.5ポイントしかなく、127.5点を獲得した首位のスタッグス・リープと2位のムートン・ロートシルトの差は1.5点しかない。しかし、昔から言うように『勝ちは勝ち』だ。

スタッグス・リープが勝者であり、これが『パリスの審判』である。

ここで「パリスの審判」について補足したい。パリスの審判とは、ギリシャ神話の故事にある元祖「美人コンテスト」。結婚式に招待されなかった「争いの神」エリスが、式場に「最も美しい女神へ」と書いた黄金のリンゴを投げ込んだ。

三人の女神が、それは私のものと喧嘩になり、ゼウスは、トロイアの王子パリスを「選考委員」に指名した。
最初のヘラ(ゼウスの妻)は、「私を選んでくれたら、世界の支配者にしてあげます」と言い寄り、2番目の軍神アテナは、「選んでくれれば、戦えば必ず勝たせてあげます」と迫り、3番目の美の女神アフロディーテは、「世界一の美女を与えます」と約束した。

結局、パリスは、アフロディーテを選び、美女を得た。これが「パリスの審判」である。

この話には続きがある。
その「世界一の美女」とは、スパルタの王妃ヘレナで、王様が留守の間に、ヘレナをトロイに連れ帰ってしまった。激怒したスパルタの王様がトロイと戦争をした。トロイとの戦争の間、パリスを憎むヘラとアテナはギリシャ側に肩入れした。

この神話は、多くの画家によって描かれている。三人の裸女とリンゴを持った男が描いてあったなら、必ず「パリスの審判」であるという。

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(『パリスの審判』 ルーベンス画 (1636年) ナショナルギャラリー蔵。パリス=黄金の林檎を持つ男はアフロディーテ=真ん中の女を選んだ。)

パリ試飲会後 

「赤ワインの試飲結果がアナウンスされた後、オデット・カーンがスパリュアのもとへ足音高く歩み寄った。カーンの体全体から、強烈な個性、優雅な威厳、貴族のような気品がオーラとなって立ち上がっていた。ワイン専門誌の編集者としての立場上、この試飲会の重要性や世の中に与えるインパクトを他のどの審査員より敏感に悟ったのだ。

『スパリュアさん、私の採点表を返却していただけませんでしょうか?』
『カーンさん、誠に申し訳ありませんが、お返しいたしかねます』
『でも、わたくしの採点表でございましょう?』
『いいえ、カーンさんの採点表ではなく、私の採点表です』

スパリュアとカーンは、採点表が誰のものかを巡って激しく渡り合った。スパリュアから採点表を取り戻すすべがないことを悟りながらも、カーンは異議を唱えた。スパリュアは採点表の束をアルバイト嬢の手に押し込み、すぐに、アカデミー・デュ・ヴァンへ持って帰るように言いつけた。

審査員は立ち去り難いのか会場でぶらぶらし、シャンパンを飲みながら試飲結果の話をした。筆者は9人の審査員のうち、5人と話しができた。審査員の反応は、非常にストレートで、その日試飲したカリフォルニア・ワインを素直に褒めた。カリフォルニアの生産者が意欲的にワインを作っていることは聞いていたが、実際にワインを飲んだ審査員はほとんどいなかった」

クリスチャン・ヴァネケ(トゥール・ダルジャンのシェフ・ソムリエ)のコメントは「カリフォルニアの白が、フランスのトップ・レベルの白ワインに近づいているのは事実だ。シャサーニュ・モンラッシュのような質の高い白をカリフォルニアでも作れるのだ。でも、赤は白ほどではなく、ボルドーのイメージはない。カリフォルニアの赤はミントの香りがあり、タンニンが粗く、フィネス(注 繊細、優雅、上品、血統の良さなど)に欠ける」。

これにオーベール・ド・ヴィレーヌが付け加えた。「全体から見ると、かなり違う。やはり、フランス・ワインの方が優れている」。
オデット・カーンが口を挟む。「これは、正しい比較試飲とは思えませんわ。カリフォルニアは、フランス・ワインそっくりに作ろうとしているんですから」。
ミシェル・ドヴァス(アカデミー・デュ・ヴァン講師)はこう述べた。「5年、10年経ってワインがちゃんと熟成したら、フランスが圧勝するだろうね」。

当時、タイム誌の特派員は、事件やイベントを全部カバーする長尺の記事を書いてニューヨークに送り、編集者が誌面の大きさに合わせて記事の長さを調整した。
「パリスの審判」は次のような原稿を書き出しした。

「月曜日の昼下がり、パリのインターコンチネンタル・ホテルで、フランスのワイン界を代表する9人の審査員が2時間以上にわたり、ワイングラスを回し、香りを嗅ぎ、口に含み、吐き出した。バッカスも顔負けの試飲能力で審査員が1位に選んだのは、赤、白ともカリフォルニアの新興ワイナリーで、白はシャトー・モンテレーナ、赤はスタッグス・リープ・ワイン・セラーズであった」。

記事の最後は、モンテレーナのシャルドネを1位に評価したクリスチャン・ヴァネケの「モンテレーナは非常に飲みやすく、バランスの取れたワインで、熟成により質の向上が期待できる。今後も目を離せない」というコメントで締めくくった。このコメントが、カリフォルニア・ワインに対するフランス審査員の意見を代表すると思ったからである。

神話の崩壊

パリ試飲会の記事が載ったタイム誌がニューヨークの新聞売り場に並んだのは1976年6月7日で、「モダンリビング」コーナーの58ページに、『パリスの審判』と題して「パリ試飲会」の記事がひっそり掲載された。記事の要点は「先週、パリのスパリュア氏主催ワイン試飲会で、カリフォルニア・ワインがフランス勢を打ち破る軌跡が起きた」である。

タイム誌発売日の翌日、マンハッタンのアッパーウエストサイド通りとプロードウェイに面し、西86番街と西87番街の間に、アメリカ最古のワイン・ショップ、エッカー・メラル&コンディットがある。エッカーの店には、パリ試飲会に出された11のカリフォルニア・ワインのうち、モンテレーナのシャルドネと、フリーマーク・アベイのカベルネの在庫があった。どちらも1本5.99㌦だった。

午前も半ばを過ぎた頃、店で仕事中のオーナーであるマイケル・ケイポンのところに店長が来て、モンテレーナとフリーマーク・アベイが売れ切れそうだと報告があった。不思議に思った店長は、客の一人に、何故、この2本を買うのか聞いたところ、タイム誌の話を教えてくれた。昼にはパリ試飲会のカリフォルニア・ワインは5ケースすべて売り切れた。

同じ現象は、アメリカの至るところで起きた。記事が出た翌日、ニューヨークのあるワイン店は、1位になったワインへの問い合わせ電話が400件も受けたという。また、サンフランシスコでは、客が店に飛び込むやいなや「モンテレーナはないか?」と叫んだ。
これ以降、パリ試飲会は大きな話題として続いた。

1. 当時、最も影響力のあったワイン・ライターは、ニューヨーク・タイムズ紙のフランク・プリアルで、毎週水曜日に 
 「ワイン・トーク」というコラムを担当しており、二週連続6月9日と6月16日でパリ試飲会をとりあげた。
2. ニューオーリンズのタイムズ・ピカユーン紙は6月16日「カリフォルニア・ワイン、フランス勢を撃破」と見出しをつけ掲載。
3. これ以外にも多くの媒体がパリ試飲会をとりあげ、一気に全米に広がった。

これ等の報道によって、アメリカのワイン業界は、フランス人審査員、即ち、世界最高レベルのワインのエキスパートが「カリフォルニアは世界レベルの高級ワインを作ることができると認めた」と自己認識したのである。その一人、ロバート・モンダヴィも「パリ試飲会事件は、カリフォルニア・ワインの歴史で大きな転機になった。カリフォルニアが一夜にして高級ブランドに変身したのだ」と語った。

このように結果として、箔がついたことで、カリフォルニアの生産者は値上げを始め、ワイン業界は潤い始めたが、それはマーケティング・セオリーを確認したことになった。それまでは、アメリカ産ワインがどれほど素晴らしくしても、アメリカのワイン・スノッブ連中は認めようとしなかった。素人とバカにされたり、身びいきと思われるのを恐れてのことだった。

このスノビズムを打ち破るには二つの方法がある。
一つは、ラベルを隠して、比較試飲すること。
もう一つは、アメリカ産ワインをヨーロッパに持って行き、相手の土俵で戦うことだ。
1976年5月24日の大事件は、勿論、前者であり、このセオリーを証明したのである。

フランスの反応

アメリカのマスコミは、パリ試飲会の結果に大満足したが、フランスのマスコミはしばらく完全無視の姿勢を取った。3カ月近く経った8月18日になって、ようやく、フランスの主要日刊新聞ル・フィガロ紙が「ワイン戦争勃発か」と題した記事を載せた。

記事は、強烈な皮肉をこめて、アメリカ人は「人里離れたブルゴーニュのあばら家で騒いでいる」が、試飲会は茶番劇であり、「まともに取り上げる価値はない」と書いた。さらに、記事は、有名な醸造学者シャルル・キタンソンが試飲会の結果に非常に驚いたとの言葉を引用した。キタンソンはパリ試飲会を無意味と断じ、ブラインド・テイスティングでよく起きるバカバカしい番狂わせが発生したに過ぎないと述べた。

11月、フランスで一番権威のあるル・モンド紙が取り上げた。トップ記事のすぐ後に、「深刻に考えるべからず」と題した社説で、公平なブラインド・テイスティングを実施する難しさをイギリス人のスティーヴン・スパリュアは理解していないと述べ、試飲会のフランス・ワインはどれも若過ぎ、熟成していないので香りが立たないと付け加えた。

さらに、世界的に有名な二人の経済学者オーレイ・アッシェンフェルターとリチャード・E・カントは、試飲会のカベルネ・ソーヴィニヨン対決だけに絞って試飲結果を評価し直し、「スパリュアがカリフォルニア・ワインを勝者と判断したのは間違っていない」と述べた。

もう一つの学術的な分析は、世界トップ・レベルの統計学者のデニス・Ⅴ・リンドレイが検証し、シャルドネ対決に対し「カリフォルニアのシャルドネは、全体的にフランス・ワインより優れている」と結論づけた。

一方、カベルネ・ソーヴィニヨン対決では、「フランスの赤はカリフォルニアより優れていると考えられ、両者には、平均値で2.0の差がある」述べ、1位のスタッグス・リープ・ワイン・セラーズ 1973年(米)と2位のシャトー・ムートン・ロートシルト 1970年(仏)には、統計的に見てほとんど差がないとの結論を示した。

3年後再び

3年後の1979年、フランスの食・ワイン誌、ゴー・ミヨがパリで「ワイン・オリンピック」を開催した。33ヶ国、330種類のワインを10ヶ国62人の審査員が試飲した。
ワイン・オリンピックの結果、カリフォルニア勢が、またも驚異の好成績を収めた。特に、白ワインが素晴らしかった。上位10位中、カリフォルニア勢が6つも食い込んだ。

白に比べるとカリフォルニアの赤は低調だった。それでも、カベルネ・メルロー部門で上位中、カリフォルニアが6つ入り、残りの4つはフランスだった。
ゴー・ミヨ誌は、次のように締めくくった。「今日、カリフォルニアの生産者の中には、非常に高価だが、世界のトップ・クラスのワインを作る所もある」と。

フランス・ワインへの影響

下のグラフは「ワイン輸出上位10カ国の輸出量推移(単位:1,000キロリットル 出所:葡萄・ワイン国際機構−OIV))」である。(JETRO 2010年11月資料)
フランス・ワインは、1980年代半ばまではワインの王様として世界的地位を確立しており、輸出量ではイタリアと激しい競り合いを見せていたが、その後イタリアに抜かれ、スペインに追いつかれている実態である。

また、ワイン新興国(オーストラリア、チリ、米国、アルゼンチン、南アフリカ)も、輸出市場でシェアを伸ばしていることが影響し、フランスだけが横ばいである。

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この傾向は、その後も続き、次表の山梨県ワインセンター資料「県産ワイン再発見事業・山梨県ワイン百科」によると、2011年のフランス・ワインはワイン生産量、消費量、1人当り消費量で世界一であるが、輸出量ではスペインにも抜かれ世界第三位になっている。

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フランス低迷の理由をJETROは以下のように説明している。
「産地、銘柄、品種にもよるが、フランスの輸出市場での相対的地位の低下理由として、グローバル市場を視野に入れた消費者嗜好への対応の遅れを指摘する専門家は多い。

さらに、「ものづくりは上手だが、売り方が下手」、「小規模生産者が多いため、国外市場へのマーケティング力と資金が不足している」「商品群が多彩すぎて、消費者にわかりにくい」等さまざまな指摘がなされている。だが、根源的な起因は、このようなマーケティング的な要素だけでなく、1976年5月24日の「パリスの審判」と、その3年後の1979年に開催された「ワイン・オリンピック」にあるのではないかと疑っている。

それまでのフランス・ワインの栄光が、名もないぽっと出のカリフォルニア物と対決した結果、世界一の栄冠を譲り渡したこと、これがフランス・ワインの潮目を変えたのではないか。確証はないが、それほど「パリスの審判」はフランス・ワインに打撃を与えたのではないだろうか。

ロバート・パーカーJr (Robert M.Parker,Jr.)、世界で最も影響力のあるワイン評論家として知られるアメリカ人は「パリスの審判」に対し次のように述べている。「パリ試飲事件は、『ワインはフランス』という神話を打ち崩し、ワインの世界を民主化した。ワインの歴史における革命的な出来事である」と。

以上