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世界で魚類をモチーフにしている乗車券カード

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イギリス・ロンドンの乗車カードは「OYSTERオイスターカード」というネーミングである。これに牡蠣研究家として大変興味と関心を持った。どうして大都市ロンドンがオイスターと命名したのか。

それをこれから語っていきたいが、その前に、世界の乗車カードネーミングで、魚類をモチーフにしたところを調べてみたところ、香港のOCTOPUSオクトパスとニュージーランド・ ウェリントンの「Snapperスナッパー(フエダイの一種)」があり、それとロンドンの三か所である。

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香港のオクトパスカードは四方八方に自由に移動できる、という意味と、 何でもその足を伸ばしてつかめるということから愛称として決まったという。この意味づけはよくわかる。では、ウェリントンのスナッパーはどのような意味づけで決まったのか。

チャージする=「Feed the Snapper」(魚にえさをあげよう)なんて、気が利いているじゃありませんか、という見解もあるが、このスナッパーはフエダイの一種で、日本では沿岸の岩礁域に生息して、九州沿岸では釣りの対象魚として人気があり南日本(特に沖縄)では重要な食用魚だ。つまり、世界各地で釣れる魚である。これをウェリントンの乗車券カード名にした背景を調べたく、ウェリントン市役所に問い合わせしたところ、以下の回答であった。

「ニュージーランドNZのフィッシングのウェブサイトによると、スナッパーはニュージーランドのフィッシングや食卓料理として最も人気のある魚とあります。国内で広く流通していることから、多くの一般家庭の食卓で見られます。NZの魚をテーマにしたカードのネーミングとしてスナッパーを思いついたのは自然なことと思われます」

世界のIC乗車券カード

 乗車カードとは、ご存知のように、鉄道やバスなどの、公共交通機関を利用する際に運賃などとして利用できる、磁気ストライプカードやICカードなどによるプリペイドカードであるが、世界の主なIC乗車カードは以下である。

  • 台湾
    • 悠遊カード(台北MRT、台北とその周辺地区のバス)
    • 一卡通 (高雄)(高雄MRT、高雄市のバス)
    • 台湾通(台中市のバス、台湾北部、中部のバス)
  • 韓国
    • コレールメンバーシップカード(韓国鉄道公社)
    • Tマネー(韓国スマートカード株式会社〈ソウル地区〉)
    • Uパス(ソウル特別市バス運送事業組合・旧交通カード)
    • ハナロカード(釜山ハナロカード株式会社〈釜山広域市〉)
    • ハンクミカード : 大田広域市の路線バスと都市鉄道(韓国スマートカード株式会社)
    • マイビカード(株式会社マイビ)
  • 香港
    • オクトパス(八達通卡有限公司)
    • マレーシア
    • タッチンゴー(クアラルンプール)
  • タイ
    • ラビット・カード(バンコク)
  • バンコク
    • メトロカード(バンコク)
  • シンガポール
    • EZ-link
  • オーストラリア
    • ゴーカード(ブリスベン・トランスリンク連合)
    • スマートライダー(パース)
    • オパールカード(シドニー)
    • Myki マイキー(メルボルン)
  • ニュージーランド
    • Snapperスナッパー(フエダイの一種)(ウェリントン)
    • トラベルカード(ウェリントン・マナコーチラインズ社)
    • AT HOPホップカード(オークランド)
    • GOカード(ダニーデン・クイーンズタウン)
    • メトロカード(カンタベリー)(クライストチャーチ)
    • バスイットカード(ハミルトン)
  • 中国
    • 上海公共交通カード:上海市タクシー、路線バス、地下鉄、フェリーなど。
    • 深セン通(深圳通有限公司):深セン市内の路線バス、地下鉄
    • 羊城通(広州羊城通有限公司):広州市の路線バス、地下鉄
  • イギリス
    • Oysterオイスターカード(ロンドン交通局)
  • フランス
    • Navigoナヴィーゴ(パリ・意味はナビとゴー)
  • アメリカ
    • smartripスマートトリップ(ワシントンDCほか)
    • ORCAオルカ (シャチ)(シアトル)

日本でも各地区で以下のように多くの乗車券カードが発行されている。

  • 北海道
    • Kitacaキタカ(JR北海道旅客鉄道〈札幌地区〉)
    • SAPICAサピカ(札幌圏の地下鉄・バス・市電)
    • DOカード(道北バス)
    • ICバスカード(北海道北見バス)
    • Asaca カード(旭川電気軌道)
  • 東北
    • icscaイクスカ(仙台市交通局・宮城交通)
    • odecaオデカ(東日本旅客鉄道〈気仙沼線・大船渡線BRT区間〉)
    • NORUCAノルカ(福島交通バス)
  • 関東・甲信越
    • Suicaスイカ( JR東日本)
    • PASMOパスモ(東京メトロ・京王電鉄・京浜急行電鉄・ゆりかもめ・東武鉄道・東京急行電鉄・小田急電鉄・都営地下鉄・西武鉄道など)
    • りゅーと(新潟交通)
    • バスICカード(山梨交通グループ)
    • KURURUくるる(アルピコ交通・長電バス・ぐるりん号)
  • 東海・北陸
    • TOICAトイカ(JR東海旅客鉄道〈名古屋地区・静岡地区〉)
    • Manacaマナカ(名古屋鉄道・名古屋市交通局・豊橋鉄道・名鉄バスの各事業者、および名古屋臨海高速鉄道・名古屋ガイドウェイバスの両社)
    • PiTaPaピタパ(スルッとKANSAI加盟事業者)
    • LuLuCaルルカ(静岡鉄道・しずてつジャストライン)
    • PASMOパスモ(富士急静岡バス・富士急シティバス)
    • ナイスパス(遠州鉄道)
    • Ayucaアユカ(岐阜乗合自動車)
    • ICaアイカ(北陸鉄道)
    • ICOUSAイコウサ(まちづくり福井)
    • passcaパスカ(富山ライトレール)
    • Ecomycaえこまいか(富山地方鉄道)
  • 近畿
    • ICOCAイコカ(JR西日本旅客鉄道)
    • PiTaPaピタパ(スルッとKANSAI加盟事業者)
    • NicoPaニコパ(神姫バス)
    • itappyイタッピー(伊丹市交通局)
    • 嵐電カード(京福電気鉄道<嵐電:嵐山本線・北野線>)
    • hanicaハニカ(阪急バス・阪急田園バス・阪神バス)
    • 近江鉄道バスICカード
  • 中国・四国
    • PASPYパスピー(広島地区の鉄道・バス・船舶事業者)
    • Harecaハレカ(岡山電気軌道・両備ホールディングス他)
    • スカイレールICカード(スカイレールサービス)
    • くる梨くるり(日ノ丸自動車・日本交通の2社共同)
    • IruCaイルカ(高松琴平電気鉄道・ことでんバス・大川バス・高松港 - 小豆島航路など)
    • ICい〜カード(伊予鉄道・石崎汽船・中島汽船など)
    • ですか (とさでん交通など)
  • 九州・沖縄
    • SUGOCAスゴカ(JR九州旅客鉄道)
    • はやかけん(福岡市営地下鉄)
    • Nimocaニモカ(西日本鉄道・昭和自動車)
    • めじろんnimocaニ モ カ (大分バス・大分交通・亀の井バス他)
    • でんでんnimocaニ モ カ(熊本市電)
    • ひまわりバスカード(北九州市交通局)
    • 長崎スマートカード(長崎県内の路面電車・バスの一部)
    • 宮交バスカ(宮崎交通)
    • RapiCaラピカ(鹿児島市交通局・南国交通・JR九州バス)
    • いわさきICカード(鹿児島交通・いわさきバスネットワークなど)
    • OKICAオキカ(沖縄都市モノレール、琉球バス交通、沖縄バス、那覇バス、東陽バス)

このようにIC乗車券カードは世界中で普及しているが、カードネーミングとしてはロンドンに一番惹かれる。理由は当たり前であるが牡蠣をモチーフにしているからである。

イギリスの牡蠣養殖事情

 ロンドンがオイスターをネーミングにした背景を語る前に、イギリスの牡蠣養殖地として著名なウィスタブルWhitstable、ここの牡蠣祭りが楽しいので2013年に訪問した内容を紹介したい。
ロンドン・ヒースロー空港から約160km離れたケント州、ロンドンの南東に位置するウィスタブル、車で約2時間。この街で牡蠣祭りが7月末に一週間にわたって開催される。

電車でウィスタブルへ行く場合は、 ロンドンのSt Pancras駅、Victoria駅、London Bridge駅からそれぞれ30分ごと、直通または1回乗り換えでWhitstable駅まで約1時間30分(日曜は本数が減る上、乗り換えも増えるので注意)。 Whitstable駅から牡蠣祭りパレードが行われる目抜き通りまで、歩いて約10分で着く。

ウィスタブルはカンタベリー司教区に属している。カンタベリー大聖堂は、イギリス国教会の総本山であり、597年に「アングロ・サクソン人たちをキリスト教に改宗すべし」というローマ教皇グレゴリウス一世の命を受けて、イングランドへやってきたアウグスティンがカンタベリーに修道院を建立し、司教座(カテドラcathetra)につくと、イングランド初代のカンタベリー大司教となったという歴史がある。

カンタベリー大聖堂の身廊は素晴らしい。身廊とはキリスト教聖堂内部の、中央の細長い広間の部分で、入口から祭壇(内陣)までの間を意味し、天空に向けて伸びるが如く柱が林立している。14世紀の垂直式ゴシック様式建築である。このカンタベリーから約8キロ北に位置しているウィスタブルは、「ケントの真珠」とも称されるように、潮風が香る風光明媚な牡蠣の町。

ウィスタブル牡蠣の歴史はローマ時代にまで遡り、ローマ帝国でもネイティブ・オイスター(ヒラガキ)が大人気で、当時はウィスタブルに専用の牡蠣採集施設が作られ、何千というネイティブ・オイスターが、ローマにはるばる運ばれていたと伝えられる。ローマ帝国の歴史家サルスティウス(Sallustius=英語名はSallust)も「哀れなブリトン人たち。この地に誇れるものなど何もない。ただこの牡蠣を除いては」と絶賛の言葉を残している程である。

このウィスタブルの牡蠣祭り、いつから始まり、その成功要因は何であったのか。それを語ってくれる最適の人物に出会えた。それはクライブ・アスカー博士Dr Clive Askerである。クライブ・アスカー博士夫妻とロイアル・ネイティブ・オイスター・ストアーズROYAL NATIVE OYSTER STORESと表示された格式ある建物とつながっているWhistable Oyster Fishery Companyのレストランで夕食をとった。夫妻はバカンスの旅から戻ったばかり、荷物を整理する暇もなく、慌ただしく雨の中レストランに20時半に駆けつけてくれた。イギリス人らしいジェントルマン、奥さんも元教師という上品なご夫妻である。

ウィスタブル牡蠣祭りを企画したクライブ・アスカー博士が語る。
この祭り開始は1985年だが、そのはじまりのきっかけは、ウィスタブルの海では、元々ネイティブ・オイスターを採るだけで、マガキ牡蠣養殖は殆ど行われていなく、マガキの稚貝をフランスに売るのが中心であった。
ところが1982年のこと、この年は大量の稚貝が採れたが、フランスでも同様で、輸出が激減、やむを得ず地元で牡蠣養殖する必要が出てきて、祭り企画につながったのだが、その前にイギリスの牡蠣に対する意識変化を話したい。

18世紀・19世紀のイギリスでは、牡蠣に対する人々の評価は低かった。それにはロンドンにおける水状況が影響している。当時の水はとても汚かった。なぜかというと、18世紀のロンドンでは、下水設備と、井戸水や圧水による上水設備が入り混じっていたので、人口過密地区に住み、公共上水道を頼りにしている貧しい人々は、汚染された水を飲むことになり、下痢・赤痢・腸チフス・コレラなど、口から入るもの、とりわけ飲料水から伝染する病気が多発していた。

特にコレラは、ヨーロッパ全体で1830年~1864年までの間に合計4回も大流行して、感染者の2人に1人が死ぬという酷さだった。これらの改善は、1830年頃から始まった衛生改革を経て、1903年に首都水道局が誕生し、人々はやっと衛生的な水を得ることが出来るようになった。

病気によって衛生の近代化も進んだともいえ、人々の意識には、水によって健康を害されたという、水へのイメージ悪化につながり、結果として水によって育つ牡蠣はよからぬものと評価された。その後の水の改善とともに、ようやく1920年頃から牡蠣に対する認識が正常化して来たという経緯がある。

但し、ノロウィルスは今でもあり、これはノーグッドラックNO Good Luckだと、人差し指と中指をクロスさせる。
大量の稚貝が採れた1982年当時のウィスタブルでは、レストランが一軒しかなく、一般店舗も少なかった。その状況下で祭りを提案したのだが、その際に参考としたのはアイルランド・ゴールウェイの牡蠣祭りである。

開催時期を、ネイティブ・オイスターを食べられない夏場の7月にした理由は、セント・ジェームズの日St James's Dayがあり、カンタベリー大聖堂が牡蠣シーズンの終わりに、漁師たちに感謝の意を述べ、子供たちが提灯行列するなどの催しが昔からあったので、それに合わせたのである。

はじめて開催した1985年、商工会議所が頑張ってくれ順調なスタートを切り、翌年はもっとうまく行った。その背景に商工会議所が店に働きかけ、店頭を祭りらしく華やかに飾り、店内もきれいにした結果、大勢の人が来てくれ、現在のような盛大な催しになった。成功した要因に加えたいのは、商工会議所に優れたアイディアマンがいて、彼が頑張ってくれたことが大きく、仲間に恵まれたのだと頷く。

当初と変わったところは、祭りのランデングLanding・幕開で、最初は牡蠣を陸に揚げベルを鳴らすことからはじめたのだが、そのベル・鐘が盗まれてしまったので、今日見たような方法になったのだと笑う。
ということで2013年7月27日(土)の14時45分から開催されたロング・ビーチLong Beachでの開始セレモニーの様子を紹介したい。

まず、カンタベリー大聖堂の司祭によるお祈り、市長の挨拶がある。挨拶の内容は牡蠣に感謝するというもので、次に主催者の商工会議所の挨拶、その合間合間に地元の楽団が演奏し、30人くらいの男女、海辺にふさわしいダンスを踊る。何となくアフリカっぽく感じるが、全員常にニコニコ顔で愛嬌をふりまく。

この愛嬌が眼についた。というのもロング・ビーチへ行く途中のイベント広場で、日本の和太鼓が演奏されていた。Chaucer College Canterbury CCC秀明カンタベリー大学の生徒たちの和太鼓演奏だが、全員緊張しているのか表情が全く硬い。真面目に必死に叩いているという感じ。日本人の生真面目さが現れているのかと思うが、祭りであるからもう少し笑顔が欲しいと感じるほど。

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さて、司祭の祈り、市長の挨拶が終ると、沖合から茶色の帆をつけた船が浜辺に到着し、一人が牡蠣の入った網籠を両肩から吊るし、二人の漁師がそれを守るように船から降りて、司祭の前まで進み、司祭からから祝福を受ける。開催セレモニーはこれで終わりである。

その後は、ロング・ビーチから一般道路に出て、仮装行列パレード行進となる。このタイミングになると道路の両脇は見物客でいっぱい。地元の人と、祭り見物の旅行者でホテルは満員となる。


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この調子で一週間のウィスタブル牡蠣祭りが開催され、期間中この街は人で溢れかえるが、実は祭りが始まった1985年は、マーガレット・サッチャー政権下であった。

第二次世界大戦後のスローガン「ゆりかごから墓場までfrom the cradle to the grave」によって「英国病」となり、マーガレット・サッチャー政権下で経済立て直しへ大転換、以後、今のイギリスがある。

そのサッチャー氏、2013年7月8日に87歳で死去し、葬儀が7月17日ロンドン中心部のセントポール大聖堂で、1965年のチャーチル氏の国葬以来のエリザベス英女王の出席と、国内外の要人ら約2300人が参列、1千万ポンド(約15億円)という葬儀費用を要して国葬が営まれた。

英国内では、サッチャー氏の死去を祝う左翼団体の一部が暴徒化して逮捕される騒動が起きているが、1979年から11年間にわたって英首相を務めたサッチャー氏は、国の役割を最小限に抑える「小さな政府」を掲げ、国を開いて海外マネーを呼び込む金融立国で成長を実現したわけで、貧富の格差は開いたが、経済優先という国造りでの貢献をイギリス政府が国葬という形で認めたのである。

ウィスタブル牡蠣祭りの開催は1885年で、サッチャー政権下であった。つまり、時の首相方針を採り入れ、クライブ・アスカー博士による企画から、地元の特性をつけ加え、町の繁栄対策として展開したことが今日の成果となっているのであるから、ウィスタブル牡蠣祭りの盛況さもサッチャー氏の貢献の一つといえるだろう。
つまり、時の政治状況によって大都市でも、地方の街でも影響をうけるという事例である。日本も安倍政権が進めている地方創生によって、どれだけ変化できるのか。それが楽しみだ。


ロンドン17・18世紀の牡蠣実態

ウィスタブルでクライブ・アスカー博士からお聞きしたイギリスでの牡蠣に対する昔の認識について、いくつかの文献で確認してみたい。


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テムズ川の河口にはかつて無数の牡蠣が生息していた。テムズ川は346kmの長さで、コッツウォルズの丘の近くのケンブル村に源泉があり、オックスフォード市の中を流れ、ウォーリングフォード、レディング、ヘンリー・オン・テムズ、マーロウ、メイデンヘッド、イートン、ウィンザー、そしてロンドンの順に流れていく。

 ディケンズの「ピックウィック・ペイパーズ」、The Posthumous Papers of the Pickwick Club,edited by Boz, 1836-1837 、通称 「Pickwick Papers」 は、ディケンズの最初の本格的長編で、これによってディケンズは彼のペンネーム“ Boz ” と共に、一躍、有名作家となったが、この中で「カキと貧乏とは相性がいい」というセリフがある。

また、アーサー・コナン・ドイルによる短編小説「瀕死の探偵」(1913年発表)The Adventure of the Dying Detective(シャーロック・ホームズシリーズの一つで、56ある短編小説のうち43番目に発表された作品)にも、ホームズが「カキの繁殖がこのまま続くと海の底がカキだらけになって大変」と(もちろん冗談で)言う場面がある。
「いまから見ると信じられないようだが、かつてはイギリスでもカキはいくらでもとれる安い食べもの、貧乏人でも買える食品だったらしい。いまでは貴重品になってしまった」 (英国らしさを知る事典 小池滋著 東京堂出版) とある。

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イースト・エンドは、ロンドンの中世期の防壁の東側と、テムズ川の北側の地域を指すが、ここのラトクリフ大通りで1811年12月7日の夜、殺人事件が発生した。ラトクリフ街道の洋品店で、店主夫婦、その息子である生後3か月の赤ん坊、そして店員の少年の計4人が惨殺された。店主の妻は頭部を叩き潰され、店員の少年も頭部を滅多打ちにされた上に飛び散った脳が散乱しており、赤ん坊は顔面が叩き潰された上に、首が胴から切断しそうなほど切り裂かれているという残虐さであった。この家の女中が買物に出かけている間の約20分間での犯行であった。

「なにしろロンドンのイースト・エンドといえば、には最下層の労働者、船乗り、東洋から流れ込んできた移民などが住む貧民街で、反対のウェスト・エンドの高級地に住む紳士がたは、夜はもちろんのこと、昼間でも近寄る勇気がない。そのなかでもこのラトクリフ大通り界隈はとくに物騒な犯罪の巣、ディケンズもあるスケッチの中で『汚穢、泥酔、売春婦、泥棒、牡蠣、焼きジャガイモ、鮭の酢漬の溜り場』と書いている。

かきやさけは現在では贅沢品だが、当時は貧民の食物だった。偶然のことながら運よく一家皆殺しをまぬがれた女中も、かきを買いにやらされていたのである」(ロンドン 小池滋著 中央公論者)また、イギリスの家庭では17世紀までは牡蠣がよく料理されたことがわかる。「十九世紀イギリスの日常生活」(クリスティン・ヒューズ著 植松靖夫訳 松柏社)で次のように述べている。

「鳩や若鶏は昔からよく食卓に上る鳥で、十八世紀にはもう、炒めてから野菜などと煮込む料理や、フリカッセン料理(肉を細切れにしてホワイトソースか肉汁と煮込む料理)にされたり、ベーコンと一緒に茹でたりされるようになっていた。鳩と雀は練り粉をまぶして茹で団子にされた。チキンか鳩の肉と果物を使った熱いパイは香辛料をきかせて、バターか骨髄(マロー)をぬって食べた。十七世紀までには牡蠣やアミガサダケ、アーテイチョウクの花托がパイに使われるようになった」

ヴィクトリア時代は、ヴィクトリア女王がイギリスを統治していた1837年から1901年の期間を指すが、この時代はイギリス史において産業革命による経済の発展が成熟に達したイギリス帝国の絶頂期であるとみなされている。
この時代の魚市場ビリングズゲイトは次のようであった。(ヴィクトリア時代 ロンドン路地裏の生活誌(上) ヘンリー・メイヒュー著 植松靖夫訳 原書房)

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「ビリングズゲイトには誰もが一番ひどい服装でやって来る。魚を仕入れに着て行った服など、もう使いものにならないことくらい誰でも知っている。建物の向こう端の明るく開いた部分から、カキ採り船のもつれた索具や、船乗りの赤いウステッドの帽子が見える。ざわめきの中から仲買人の大きな声が聞こえる。白い前掛けをつけてテーブルの上に立ち、群衆の頭上をじっと見すえながら、値段を怒鳴っている」

「間もなく、長身の運搬人がカキ用の黒い袋を担いでよろよろと過ぎて行く。荷の重さに体がふるえ、背中と肩は袋から出るしずくで濡れている。男は群衆の中を押し分けて進んで行くが、歯を食いしばりながら『道をあけてくれ!』と低い声で言う」

「カキ採り船から戻って来た人びとの頭が、埠頭の岸壁をゆっくり上って来るのが見える。呼売商人たちは、埠頭沿いにずらりと並んで碇泊しているカキ採り船の長い列のことを『カキ街』と名づけている。からみあっているロープと帆柱の列を上から見ていると、甲板に集まっている大ぜいの男女の重みで小さなカキ採り船なぞ沈むのではないかと思える」

「船倉にはカキがいっぱいと貝が灰色の固まりとなって詰まっており、そこにはカキを山盛りにしたブッシェル枡(1ブッシェルは約37リットル)が一つ置いてある」このように昔は牡蠣のイメージが悪かった。しかし、その後の衛生環境改善と、牡蠣関係者の努力によってブランド化し、今では牡蠣は高級な食べ物となっている。
それを物語るエピソード、パリのことだが、それを紹介しよう。

「日本人にも良く知られた、パリ・ファッションを代表したココ・シャネルは貧乏であった時期、パリに出てきて働いたが、カキには当然縁遠かった。そのため男性から食事に誘われて、颯爽とてレストランに出かけても、高級な前菜であるカキを口に運ぶことができなかった、と言う逸話が今日まで残されている」(大英帝国食諸事見聞録 平川敬治著 新風舎)

このように今では牡蠣は代表的な高級食材であるので、ロンドンが「オイスターカード」というネーミングで乗車カード名としたことも頷ける。だが、したたかなジェントルマンぞろいのイギリス人が、高級食材というだけでネーミングしたとは思えない。他に何か背景があるに違いない。

オイスターカード命名の経緯

 まず、Wikipediaウィキペディアの英語版を見ると次のように出てくる。
Wikipedia
Oyster was conceived and subsequently promoted because of the metaphorical implications of security and value in the component meanings of the hard bivalve shell and the concealed pearl; the association of London and the River Thames with oysters and the well-known travel-related idiom "the world is your oyster".
 翻訳すると以下のようになる。
「オイスターは固い二枚貝と、またその中に真珠を隠していることから、『安全』、又は『価値』という比喩的意味あいを持つことを理由に、オイスター(という名前)がカード名として推薦された。更にはロンドンのテムズ川とオイスター、そして有名な旅に関するイディオム(慣用句)『世界はあなたのオイスターである』(あなたの人生はとてもうまくいっている、という意味)にも関連づけている」

 この内容、分かったようでよくわからない。そこで、ロンドンで様々な人に聞いてみると、次のような見解だった。「ロンドンで初めて発行されたスマート・カードだ。ネーミングは大事だから他の都市では使われていない『オイスター』にしたのだろう」

「記憶に残りやすく、シンプルな単語で覚えやすく、そして呼びやすいものとして『オイスター』に決まったのだろう」
 「貝殻の頑丈さからのイメージとして『セキュリティ』と、そして真珠貝(パールオイスター)のイメージから『価値』を表している」

「スマート・カードというもの自体が、導入された当時はとても革新的なものだったので、名前もそれにふさわしく斬新なものにした」

 「明確で簡単な英語で、時代や流行を感じさせない名前として『オイスター』にした」
「ローマ時代には、テムズ川でカキが養殖されていた、というロンドンの歴史にも関係している」
 「オイスターという名前は『The world is your oysterこの世はあなたの思いのまま』という慣用句にも関連して、オイスターカードを使って、ロンドン公共機関を楽々と移動する、ということにも通じる」

このように「オイスター」ネーミングに様々な見解があるとは、さすがイギリス・ロンドンだ、というべきだろうが、最後のフレーズ「The world is your oyster」、これは「世界はあなたのオイスターである=世界はあなた次第でいかようにもなる=この世はあなたの思いのまま」といった意味をもつらしいが、このところが日本人の筆者にはよくのみこめない。そこで、続けてこれを検討するが、その前にJR東日本のSuicaスイカの由来・意味をみてみたい。

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Suicaという名称は「スイスイ行けるICカード」という意味があることが知られているが「Super Urban Intelligent Card」の略称が元々の由来らしい。親しみやすさを表現するためにSuicaと、果実のスイカともかけており、そのためカードはスイカをイメージした緑色を基調としている。緑色はJR東日本のロゴのカラーでもある。また、ICカードであることを強調するため、Suicaの”ic”の部分だけ色を反転させている。

また、Suicaのマスコットキャラクターとしてペンギンが採用されているが、このペンギンには名前がなく単にペンギンと呼ばれたり、Suicaのペンギンと呼ばれている。種類は南極大陸に生息するアデリーペンギン「南極から東京にやってきた」という設定になっている。デザインは絵本作家のさかざきちはる(坂崎千春)氏である。「改札をスイスイ通れるSuica」と「スイスイと泳ぐペンギン」をかけているようだ。

さすがに日本のネーミング背景説明は機能的で分かりやすいし、難しくなく、すんなり入ってくる。
では、「The world is your oyster」の検討に入りたいが、これには何かイギリスらしい蘊蓄話があるのだろうと推測する。このフレーズは、ウィリアム・シェイクスピアの「ウィンザーの陽気な女房たち・The Merry Wives of Windsor」の中で使われたセリフだという。

「ウィンザーの陽気な女房たち」は、シェイクスピアの喜劇。出版は1602年だが、書かれたのは1597年より前だと考えられている。あらすじは「金に困った主人公フォルスタッフが、ウィンザーの裕福な夫人たちを騙して金をせしめようとする。夫人たちに内容は全く同じで名前だけ変えた恋文を書いて送り、金を得ようと言うもの。ところが、手下が嫌がって拒否したので、手下どもを首にすると、手下どもは、フォルスタッフの計画を夫人たちに教えてしまう。

 夫人たちは、騙された振りをして、フォルスタッフを懲らしめようとする。手紙で呼び出して、洗濯籠に入れたり、女装させたり。最初は、計画を知らずにいた夫たちも、計画を知って一緒に、フォルスタッフを懲らしめることに。
 一方、フォルスタッフが狙う夫人のひとり、ページ夫妻には、娘がいて結婚を考えている。夫人と主人は、それぞれ違う男性を婿にと考えていて、娘自身は、また別の男性との結婚を望んでいた。

 最後、夫人たちは、フォルスタッフに狩人ハーンの格好をして、ウィンザーの森に来るようにさそう。そこで、ページ夫人の娘が妖精の扮装で驚かす。その娘を、娘が結婚を望んでいた男性が連れ出して教会で結婚式を挙げる」というもの。この「ウィンザーの陽気な女房たち」を小田島雄志訳(シェイクスピア全集 白水社)で読んでみた。舞台を見たことがないので、すんなり読み進まない。シェイクスピアをよく理解していないからかもしれない。

そこで同書の解説(村上叔郎)から引用してみたい。
「この喜劇は初演当時から、とにかくまず見ておもしろい芝居として人気が高かったらしい。初めて出版された一六〇二年のテキストの扉書きには『宮内大臣一座によって、女王の御前、並びにその他の場所でいくたびも上演』とあるし、その後も一六〇四年にはジェイムス一世が、三八年にはチャールズ一世が見たという記録がある。

清教徒革命の時期が過ぎて劇場が再開されてからもすぐに演じられていて、サミュエル・ピープス(注 17世紀に活躍したイギリスの官僚。王政復古の時流に乗り、一平民からイギリス海軍の最高実力者にまで出世した人物であり、国会議員及び王立協会の会長も務めた)は一六六〇年から六七年の間に三度見ている。ただしこの『日記』の著者はどの舞台も気に入らなかったらしい。

以後も現代にいたるまでたえまなく上演が繰り返され、しかもその間、たとえば『リア王』のように改作が原作にとってかわるというような事態も起こらなかった。同じシェイクスピアの喜劇作品であっても、『お気に召すまま』や『十二夜』とはちがって傑作とたたえられることも、また『尺には尺を』のようにその問題性が深く論じられることもなかったかわりに、いつの時代にも変わらず観客に好まれてきたのだった。

日本でも事情は似ていたような気がする。一九三七年の新築地劇団による上演はもう人々の記憶から遠くなったが、その時の演出者千田是也がフォールスタッフとなって登場した一九五二年の俳優座の舞台(青山杉作演出)のにぎやかな楽しさを語る人はいまも大勢いる。

なによりもその名ばかりが高かったあの酒飲みの肥っちょの野放図な魅力を、私たちはなるほどと納得する思いで眺めたのでなかっただろうか。(その演技を喜んだ小林秀雄氏が、酒の勢いもあって客席から野次を飛ばしたら退席させられてしまったというエピソードも残っている。)」

さらに、解説に「イギリスの市民生活を中心にすえた唯一のシェイクスピアの戯曲」ともあるように、この作品がイギリス人一般に親しまれていると思われるので、この作品の文言が広く慣用句として使われていると推察できる。

その慣用句「The world is your oyster」の原典は「ウィンザーの陽気な女房たち」の第二幕第二場の冒頭である。小田島雄志訳では次のように記されている。
フォールスタッフ いいや、おまえにはビタ一文貸せないな。
ピストル ではこの剣にもの言わせ、貝のごとく閉ざしたる世間の口をこじあけて、真珠をちょうだいするのみだ。

英文は以下である。
FALSTAFF  I will not lend thee a penny. 
PISTOL Why, then the world's mine oyster. Which I with sword will open. 
これを訳すると
「3ペニーを貸さないよ」
「この世は私のもの。剣を使って奪うことができよう」
となるだろう。Openを使っているのは、オイスターの貝をこじ開けるという比喩とかけて、実際に奪うとことを意味にしている。従って、「私は世界の頂点に立つ。あなたが拒もうと、剣の力で奪うことができる」というような訳になると考える。

また、シェイクスピア時代の英語では人称代名詞変化が現在と異なっている。
現在の英語: I, my(私の), me(私を), mine (私のもの)
シェイクスピア語:I,(私は) mine(私の), me,(私を) mine(私のもの)
そこでmineをmyに置き換えると
「Why, then the world is my oyster. Which I with sword will open」 となって、意味は
「私は世界の頂点に立つ(the world is mine oyster)ものだ。何だって可能にできる。あなたが拒もうと、(オイスターの貝をこじあけるように)剣の力で(3ペニーを)奪うことができる」となり、これは恐喝を意味していると考える。

たが、別の解釈として「無理に思えることも挑戦し、行動すれば達成できる」という前向きな見解にも使われる。
もう一つは、本来自分には不相応なものも、力ずくで手に入れることができる。という、やや強引で欲深い意味もある。いずれにしても、「ウィンザーの陽気な女房たち」の第二幕第二場の冒頭の台詞が原典由来となり、これらが文化重層的に構造化していき「The world is your oysterこの世はあなたの思いのまま」が慣用句として広く使われていることは事実である。

だが、このような慣用句があるとしても、オイスターカード名を決めるにあたって、最初から「ウィンザーの陽気な女房たち」から引用しようとしたとはとうてい思えない。多くのネーミング発想は、突然に浮かぶ場合が多いのではないかと思う。また、アイディアというものは論理からでなく、他の要因、それは「何かのテーマで、ずっと考え続けていると、ふとした瞬間に、ああ、これだ!!」と、突然に頭の中にイメージ発生するのではないか。

これは筆者の体験からもいえることで、多分、オイスターカードを提案した人も、そうだろうと推察する。そこで、この提案者に会って確認したくなった。

 ロンドンでいろいろ調べてみると、ハンプシャーHampshireにネーミング提案者が住んでいることが分かり、電話したところハンプシャーのアルトンALTONに来てくれれば会ってくれることになり、2012年11月23日(金)の午後にアルトンへ向かった。

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この日は午前中、ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン(University College London, UCL)にいた。UCLはロンドン市中心部ブルームズベリーに本部を置き、1826年設立したロンドン大学最初のカレッジで、イギリスを代表する研究志向の総合大学である。

ロンドン・タイムズ紙の高等教育専門誌による世界大学ランキングThe Times Higher Education Supplementにおいて、2007年・2008年と世界のトップ10にランクインし、2009年には世界ランク4位となった。現在までUCLは卒業生、教員、創立者から計21人のノーベル賞受賞者と3人のフィールズ賞受賞者を輩出している。

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UCL内の中庭ジャパニーズガーデンには、日本人24名の名前が刻まれた記念碑がある。海外渡航が禁じられていた当時、国禁を犯し、文久3年(1863)と慶応元年(1865)に長州藩から5名、続いて薩摩藩から19名の若き志士たちが英国へ渡り、UCLで学んだことを讃えて建てられたもの。伊藤博文、井上馨などが記されている。

UCLからはバスでウォータールーWaterloo駅へ、そこからアルトンAltonまでの乗車券を買い、11時23分発列車、12時37分着、1時間10分で着いた。

アルトンは、古くはローマ時代の要塞があり、アングロサクソン時代の墓から、当時の素晴らしい工芸作品バックル(銀を基調にガーネットやガラスが細工されている)が発見され、地元のカーティス博物館で展示しているように古い歴史がある街。
アルトンという地名はアングロサクソンに遡り「川のそばの農家」という意味からきていて、街にはWey川が流れている。

ホップ栽培はされてないが大手のビール工場のCoors クアーズBrewing Company はCarlingカーリング(ラガー)、 Grolschグロールシュ 、Worthington ワージントンといったビールを製造しており、ここは世界7番目の規模という。また、照明器具からコンピューターのソフトウェアーなど作る会社の工場がある。

そのアルトン駅に着き、寂しい駅前で立っていると、向こうからとても汚い車バンが走ってきて、目の前で停まった。車の中から長身やせ形の男性が出てきて、握手する。この人がマーケティングプランナーで小説も書いていて、オイスターカードのネーミング者であるアンドリュー・マックラム氏Mr Andrew  McCLUMである。SAATCHI&SAATCHIという広告会社に所属している。

どこかカフェがないかと探したが、いずれのカフェも駐車出来ない通りに位置しているので、自宅に連れて行ってくれた。周りにあまり家が建っていない道路端の一軒家である。ドアを開けると大きな犬が出てきて、長靴を咥える。これは散歩に連れて行けというシグナルだとマックラム氏が言う。

中に入るとキッチンとテーブル。雑然としているが、これがイギリスの普通の家の状況だ。犬が人懐こくすり寄ってくる。毛がこちらの洋服にまといつく。猫はテーブル上にのってくる。ペットと人間は共同生活で、日頃から一緒にしている。人間も床を靴のまま歩くのだから、犬も猫も同じである。

さて、最初の発言はメタファーMETAPHORだという。コンクリートのイメージ、中にいろいろ入っているという比喩・暗喩だという。TFL(TRANSPORT for LONDON)からSAATCHI&SAATCHIへネーミング作成があったので、マッカラム氏他数人で2001年にプロジェクトつくり検討し、提案内容が2002年にOKとなり、カード利用の機械整備と準備し2003年7月からスタートした。

ネーミングついてはいろいろ検討した。最初はパルスpulse、これは手首の脈で、これが有力だった。ヴィアviaもあった。これは~を通って・経由の意味だが、何かまだ十分でないと思いつつ考えていると、ふと、香港のオクトパスを思い出し、そこから突然にオイスターを思いつき、チームリーダーの女性に電話したところ、オイ=ネーミング、スター=ギャングスターというようにも取れるので面白いし、いろいろにモノがつまっているという感覚もあると賛成してくれた。

このオイスターまでの発想経緯をお聞きし、やはりそうだったと再確認した。
いくつも検討して、もっとよいネーミングがないかと、集中して考えていたときに突然にオイスターが浮かんだのだ。その閃いたオイスター発想の後で、そこに背景を付け加え、ストーリー性をつけようと、シェイクスピアや、殻の中にいろいろ詰まっている状態とか、時には真珠も見つかるので価値がある等で意味づけし、併せて、テムズ川の牡蠣とも関連つけたのだという。

マックラム氏が語ったネーミング提案内容をまとめると次のストーリーであった。
① シェイクスピアの戯曲「The Merry Wives of Windsor」(ウィンザーの陽気な女房たち)の「The world is my oyster.」というところから関係づけた。どこでも行けます。お金を入れれば旅行できますということ。
② 口が堅い。セキュリティーが安全。
③ 真珠が入っている。高価。お金を入れて使える。
④ テムズ河の川底に牡蠣がいる。
⑤ もう一つはイーストエンドのパーリーキング、クイーン、光る洋服をつけることも関連あり。
⑥ サムエル・ビービスが日記に牡蠣のことを書いている。
この⑤と⑥については、その後検討したがよくわからない。ロンドン事情に詳しくないと、難しいので解説を省略したい。

いずれにしてもオイスターは、香港のオクトパスの延長で発想したものだが、そこの背景意味づけにシェイクスピアを持ってくるとは、さすがイギリス人だと感じる。
再確認できたことは、発想するというセオリー、それはあるテーマへ集中度を増していくと、突然に脳に浮かんでくるものだということ。
オイスターカードでも同様であると再確認した次第。